プロフィール

初めまして。森もえこです。

ごく普通の新卒大手企業の会社員が、副業で月収以上に稼ぎ、
独立して、
マレーシアで起業した話をしようと思います。

WEBメディア構築専門コンサルタント。

25歳。神奈川県出身。
新卒2年5か月で会社を退職、独立・起業。現在はマレーシア現地IT会社にて、WEBメディア構築しつつ、日本での個人事業主・フリーランス向けのWEBメディア構築コンサルとして活動中。

現在の仕事は
・マレーシアでのIT会社にてWEBメディア構築
・横浜市内での起業・副業女性向けセミナー運営
・副業・起業コンサルタント
・WEBメディア制作サポート
・個人事業主・フリーランス向けのWEBサイト制作
・ランディングページ制作

として、活動をしています。

今まで、こうやってメディアに自分のことを書いたり、
自分のことを話したりすることは一切ありませんでした。

前に出て自分のことを話すことも全然好きでもなんでもありません。

でも、自分の今までやってきた経験が誰かしらの役に立てればと思ったので、

ここに書かせていただいています。

 

ごくごく、普通だった会社員の女の子が
なぜ起業家としての人生を歩むようになったのか!?

森もえこの詳細のプロフィールを楽しんでご覧いただければ嬉しいです。

鬱になるほど内向的だった私の生い立ち

◆ごくごく普通の生い立ち。

山口県山口市生まれ。
幼稚園まで神奈川県川崎市で育って、
小学生から小田原にお引越し、
会社員の父、パートの母、3歳下の弟

どこかドラマに出てきそうなくらい平凡な家族でした。

でも自分でも嫌になるほど、人見知りで、内向的。
一番怖いことは、失敗することと嫌われること

だから、いつも失敗を恐れて、
誰よりも試験勉強も、習い事も頑張ってきた。

誰よりも才能がなくて、容姿も

コンプレックス

集団行動はできなくて、自分勝手に1人行動がとにかく多く(←今もそうだが・・・)、全体主義(みんな一緒でみんないい)みたいなうたい文句が大嫌いでした。

◆とにかく負けず嫌い、何でも1番でないと気が済まなかった傲慢っぷり

小学生後半くらいから目覚めた周りへのライバル意識。
本当に鬱になる位、内向的な私の性格。
でも、なぜかどこかで目立ちたい。。。っていう気持ちがフツフツと目覚めてきて、

内向的で苦労したことを隠そうと、
勉強も、習い事も、評価も全力投球をし始めて、
1番を争うようになりました。

周りと比較することだけが生きがいみたいになっていたのです。

関連記事:人との比較に終止符を打ちたい

◆女子大へ進学、思った以上にみんな自由人すぎ

女子だけの環境って、
◆ねちねちして、
◆嫉妬深くて、
◆お局がいて
みたいなイメージありませんか?

運よく、私の周りにはそういう人たちはいなくて、
むしろ、みんなサバサバ。

女性特有の”グループ”みたいなのは存在しなくて、

女子だけの環境で、好きな仲間と、好きな研究をしまくる生活がスタートし始めました。

そんなある時に出会ったのが、
海外旅行してみたい!」という一人の友人の言葉。

この友人の一言が私の人生を狂わせることになるとは思ってもいませんでした・・・・・・・・!!!!!

20歳のインドの旅が人生を変えた

私の生活は本当に普通。

特に得意なことも、熱中していることも今まで何一つなく、
それなりに、うまく生きてきていました。

そんな生活を変えたのが、友人の一言で始まった、

インドでの旅

20歳で世界の事なんか何一つわからず、ただの世間知らずでインドに渡航後、
7日間の旅を経て、飛行機で号泣しながら帰国したのが、私の人生の初めての転機。

関連記事:たった1度の旅が人生を狂わせた・・・!

初めてインドに行ったときから、
貧困層が稼ぐ仕組みを作りたいと思っていました。

それは、

「日本人は夢の夢の夢だ、日本人のように働きたい」

という同年代の学生の言葉がきっかけです。

 

インドの日本語学校、介護施設で働いたのですが、
インドの人にとって、
良い職につくのすら大変。

きつい職場の現実、
理想すら描くのを諦めて行く姿をみてきたので、

この子達に夢を諦めて欲しくない、
ちゃんと稼ぐ力をつけてほしい

という思いが強かったです。

この旅をきっかけに、

アジアをほっつき歩くように旅する大学生活になり、

「途上国の豊かさを作る!」を軸に就職活動を始めました。

 

ですが、現状、臆病だった私は、
アジアで働きたいと思いつつも、
日本の大手企業で働くことを選択しました。

関連記事:山口絵理子さんから学んだビジネスで大事な事

目の前のことに、とにかく集中&没頭した社会人1年目

途上国の豊かさを作る!」というミッションのもと、大手企業の総合職社員として入社しました。

そこそこ、仕事は楽しくやりがいもありました。

しかし、女性社員1人、慣れない環境での孤軍奮闘は思った以上に厳しく、
中々結果を残せず毎日怒られる日々も続きました。

何度も出勤前の通勤路でお腹が痛くなる・・・・(笑)
入社2か月目、上司からつけられたあだ名は

”ポンコツ”

・・・・・。

言われこともできず、
周囲とのコミュニケーションもうまく取れない、

相当な問題児だったと思います。

それでも、目の前の仕事に没頭して、
寝る時間以外は全て仕事をするようになっていました。

毎日PDCAサイクルの繰り返し。

地道に、地道に、コツコツと仕事に取り組んでいたら、
2年連続で社長賞も頂くことができたのです。

関連記事:病むほど仕事が嫌だった私が2年連続で社長賞をとれたたった一つの理由

社会人2年目冬に月収100万越え、でも未来に絶望した

コツコツ取り組んだ仕事への姿勢が評価されたのか、
私は社会人2年目にして、月収は100万以上を会社から頂けるようになりました。

でも、同時に絶望していました。

月収が100万円頂いていた時の私の生活は・・・
7時に出勤して、帰宅は日付回って26時、
朝・夜はコンビニ弁当、
昼は自販機の冷たいおにぎり

趣味なし、彼氏なし、特技なし

あと40年間この生活が続くのか?

と思うと絶望しかありませんでした。

日本で働くことは夢の夢の夢だ

と言ってくれたインド人学生にこの私の状況が憧れであるはずがない。

仕事自体は楽しい。担当していた事業も軌道にのっていた。

でも、どうしても

自分の未来にワクワクできなかった
途上国で出会った多くの女性、
物質的な不自由がありながらも強く、強く生きる女性

急に、今の自分が恥ずかしくなった瞬間でした。

人生を変えたい。行動だけが人生を変える

2016年12月、そんな絶望した生活に終止符を打とう。
もっとワクワクした人生を送ろう。
途上国の豊かな生活を作るために人生を使い果たそう。

早く途上国で働きたい、
早くアジアで働きたい、

アジアに価値を残せる人間になりたい。

そう思って、人生を変えようと、
仕事以外での自分の居場所を探して、
自己啓発本を読み漁る生活がスタートしました。

本田健さんの本に書いてあった、
人生を変えるためにやること
服装を変える
環境を変える
付き合う人を変える
仕事を変える
⑤パートナーを変える

これら全て約半年間で行ってきました。

朝から晩まで本業と副業をして、
好きな仕事をするために
がむしゃらに働きました。

当時通っていた起業塾の課題も誰よりも取り組みました。

そうしたら、本当に人生が動き出した。

人脈にも、仕事にも、お客様にも
恵まれる生活が待っていました。

やればやるほど、お客さんも集まり、
認知も上がって行きました。

モヤモヤとしている間に、
朝会を主催してみたり、起業を学んだり、先輩起業家さんに会いに行ったり、
WEBメディアを立ち上げてみたり、
色んな事に手を出しました。

そして、最終的に行きついたのは、
女性起業コンサルタントとWEBメディア制作サポート

24歳普通の会社員から起業家へ

私は、新卒で入社した会社を2年5カ月で退職し、WEBメディアコンサルタントとして独立しました。

現在25歳、スキルなし、コネなし、リスクあり。

誰もが無謀だと思える決断だったと思います。

でも、
私にはどうしても叶えたい未来と、
実現させたい世界があった。

それを我慢して40年間過ごす人生を辞めたかったんです。

関連記事:会社を辞めたい、その衝動を行動へ
関連記事:20代から始める働き方改革、未経験の世界を見続けたい

会社を辞めると決めてから、
月の残業時間を40時間以下にして、
モヤモヤしていた人間関係、不要なモノ、固定観念すべての断捨離を始めました。

関連記事:24歳会社員がミニマリストを目指して気づいたこと

私は、ダブルワークで副業から取り掛かって、
自分で収入を得ていくようになって、
自分の人生に圧倒的に自信を持つことができました。

そのまま走り続けるの?と起業の大先輩の一言

副業をして、独立もして、
そこそこは稼ぐことができていました。

でも、起業の大先輩に言われたんです。

「そのまま走り続けるの?」

 

全く何していいかわからなくなりました。

「私はただアジアで働きたいだけ」

「アジアに貢献できる価値を残したいだけ」

 

そこから自分の人生に真剣に考えるようになりました。

その頃の私は、お金よりもアジアで自由に働ける仕組みがほしかったんです。
毎日SNS投稿をして、
ブログを書いて、
本当にそれがアジアで自由に働ける仕組みになるかが信じることができませんでした。

どうやったら時間もお金も手に入れることができるのか、

考えているときに出会ったのが、

収益を自動化させて、ビジネスオーナーになった企業コンサルの方でした。

そのコンサルの方は私に

ビジネスの仕組み化をして、

収益が自動的にはいってくる方法を教えてくれました。

 

そこから起業コンサルの方がいうことを全部真似ました。

 

1ヶ月後、主催した朝会は満席、
初めて高額のバック商品が売れました。

1年以内に会社員から独立すると決めていた私は、

WEBメディアを資産化させることいん集中しました。

あっというまに会社員の月収も超えて、個人ん事業主としてのスタートダッシュを切りました。

憧れた独立だったのに朝起きるのがいやでした。

 

副業をして、順調に月収を超えて

「会社員卒業おめでとう!」

と喜ばれることも多かったです。

憧れて憧れての独立だったのに、

朝起きて1日が始まるのが本気でいやでした。

早く人生終わりたい、早く老後になりたい、

本気でそう思って、泣きながら過ごしていました。

 

好きなときに、好きな場所で働けると思っていたのに、
朝から晩まで集客、発信地獄、
この先が不安なのに、
不安ですなんて言えない。

早く人生が平和に終わりたい。

本当は会社員に戻りたいのに、
戻ったらアジアで働く夢を諦めるのがいやで、
泣きながらなんども不安になる気持ちを抑えました。

不安だから起業するんだと言い聞かせていました。

そんなときに、「前職の上司から戻ってきてほしい」と電話。

そう言われた時は、
泣きながら「会社員に戻ります、起業諦めます」と言ってしまうのをこらえました。

「アジアで働きたい」

「途上国で出会った人たちの夢を叶えたい」

と思って始めた起業。会社に戻ったら決してその願いは叶わない。

スイッチが入った転機

 

そして私にはスイッチが入りました。

ビジネスの仕組みを作っている人
自由に働く国
仕事を選んでいる人の話を聞き
コンサルを受け
とにかく言われたことは真似て行きました。

ビジネスの仕組みをWEBメディアで作ることに専念し、
情報発信を資産にしていくと、
メディアをもって6ヶ月目にワードプレス経由でのお申し込みが増えるようになりました。

どんな商材でも、WEBメディアを構築させることは全て同じ方法だったのです。

その経験から、
メディアを資産にしていくためのオウンドメディア運営
WEBを使った資産構築
横浜市内でのセミナー運営
など新しい事業に挑戦していきました。

WEBメディアができればOKではない

 

SNSでのビジネスの資産作り、
勝手に集客ができる仕組み作りができると思っていたのは浅はかでした。

WPを使っての資産作りの方法を知って、

集客はできるようになったものの、
バックエンドが売れないという大問題。

何が違うのか?

何が違うのかもわからない状態が続き、
調べるものの、
正しいかどうかわからない。

また不安に襲われる日々。

そんなときに、私のメンターに
「不安だから稼ぐんや!そのための仕組みを作るんでしょ?」

と言われました。

言っていることはわかる。
でも不安になればなるほど人は動けないもの。

正直怖い。時間を投資して、メディアの仕組みがうまく作れなかったらどうしよう。

そう思っていたのですが、
「好きなことをして生きていくには、情報発信と共感してくれる有力なファンを作ること」

「あなたの発信を好きになるお客さんは理想のお客様」

もっと自由に
好きな国で
好きな時間に
好きな仕事をしていく

毎日を楽しむ女性を増やしたい。

私が副業をして、独立して、
不安に押しつぶされそうになったからこそ
好きな仕事をしていく難しさも知っています。

自分のエネルギーの源泉を行動にしていく難しさも知っています。

だから今、私がやってきたWEBメディアの構築が
今の自分に不安、
もっとこれからワクワクした毎日を送りたい

と思っている女性起業家、副業したい方向けに
WEBメディア構築をゼロからお伝えしています。

独立して1ヶ月後マレーシアで起業

 

会社員から独立した1ヶ月後、念願のアジアでのビジネスができることになり、
あっという間にアジアに渡ってきました。

今こうして念願だったアジアで働けているのは、

1年前のクリスマスの次の日に

「あ、会社員やめよう」

「1年以内に独立しよう」

と決めてくれた自分がいるからです。

必死に、必死に、今を抜け出したくて走り回っていた社会人1年目と2年目。
ほとんど遊んだことなかったです。

最初にもお伝えしたように、毎日が必死でした。

だから、この決断ができたんだって思っています。

必死でやった分、本気の決断ができた。

本気の決断ができたから、自分でお金を稼ぐこともできるようになった。

 

今は、マレーシアでインターネットビジネスをしつつ、
マレーシアの物流や通販ビジネス、
マーケティングなどを行っています。

ビジネスの力を身につければ、
こうやって念願だった海外移住も海外で働くこともできます。

本気になればそのツールはたくさん揃っています。

ビジネスの力を身につけることが、
自分の本気で好きなことする自由を手に入れることができるんですよね。

なぜ好きなことをしたいのか一度考えて欲しい。

 

このWEBサイトは普通の会社員が独立してマレーシアで起業している今をありのまま書いているので、
ビジネスをしよう!

と言っているように思えるかもしれないです。

でも、私は会社員の人生でも、起業する人生でもどちらでも良いと思います。

自分で選ぶのなら。

 

もし、自分がビジネスで稼げる力をもてたら
何ができるようになると思いますか?

逆にビジネスをしたら何を失うと思いますか?

ここからは私の考えでしかないですが、
私がビジネスをずっとしていたいと思うのは、

どこかで誰かに価値を残せるからです。

私は、
途上国で出会った方たちがみんな自由に理想を思い描いて、夢を叶えて欲しい。

そのツールを作っていきたい。その仕組みを作りたい。誰もが自由に理想を叶える世の中にしたい。

だからアジアで自分がアジアの人に役に立つ価値を残していきたい。

と思っています。

もし、あなたが、ビジネスをして自分で価値を残せるようになったら、
それは、
あなたの大事な人を幸せにする能力がある、ということ。

自分が好きなことをするための起業とも思われがちですが、
その「好きなこと」は実は
「誰かを幸せにしたい」

という思いがあると思うのです。

ビジネスをして価値を残すということは、
自分自身が好きな仕事をしていくだけではなくて、
同時に、
あなたが幸せにしたい人の役に立つこともできるのです。

私はそんなビジネスがしたいと思って起業しました。
アジアの人に喜ばれながら、感謝されながら生きることができたら嬉しくないですか。

誰かの幸せの価値を残しながら、
誰かに喜ばれながら
ビジネスをしていくことで、

結果、自分が1番満たされるようになると思っています。

きっとうまくいく

 

私は今までセルフイメージも低く、失敗が一番怖かったごく普通の会社員でした。

でも、初めて自分で決断をして、自分の道を自分で選んだのだから。
自分の価値がお客様を幸せした対価として帰ってきたのだから。

マレーシアにきた今、思った以上に「未来がうまくいく」ということしか考えていません。

きっと、無謀なチャレンジだったとしても、
「きっとうまくいく」「All is well」

とおもえているから。

私は今から、「途上国の豊かさを作る」ミッションに、
コンサル業、WEBメディア制作サポート、インバウンド事業、通販事業を行っていきます。

私は一人でも多くの人が、
自分の人生を何に使い果たしたいのか?

誰もが輝けるフィールドで生きていけるように、

全力投球

後押しをしていきます。

 

もしこのWEBサイトが一人でも多くの人に勇気を出させるツールであったら嬉しいです。

本ブログコンセプトも決まりました。

こちらをご覧ください。

今ならLINE@ご登録でオンライン動画プレゼント!